↑アズマ産業のバックやら袋はずいぶん前から使っている。アズマ産業? 何それ?という方はオーストリッチといった方がわかりやすいか?
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↑あたしンちにはいくつかオーストリッチ製バックやら袋やらがある。その中でいちばんの古参がコレだ。型番はS-1 サドルバック、廃盤商品で現行の同社カタログには後継のS-2が掲載されている。小判バックなんて言ってたかな? アレッ!言ってなかったっけ?

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↑アチコチ補修してはいるが、まだまだ現役バリバリで年に何回かは尻の下にぶら下がっている。使うには問題ないが、見すぼらしさもバリバリだ。メンテナンスもシロウトのやっ付け仕事なんで、輪をかけて貧乏くさい。

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↑因みにサドルバックって、どちら側が前で、どちら側が後ろなんだろう?

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↑蓋には1983.8.19の文字がある。大学サイクリング同好会の夏合宿用にと、上大岡のゲンマ(現Y.sロードの店舗)でこの日に購入した。1983年の夏合宿は、8月23日午前8時30分青森駅前現地集合で、8月31日奥松島解散だったかな。

合宿スタートまでぢ間はタイトだったが、津軽、下北に逢いたくて、バック買ったその足で上野発急行八甲田青森行夜行に乗車した。19日は車中泊、20日は津軽線中小国駅で野宿、21日は大間崎YH、22日は大湊線陸奥横浜駅で野宿! そして23日の集合ぢ間にギリギリ滑り込んだ。

あたしの所属した関東学院大学サイクリング同好会は、どちらかというと軟派なサークルだった。宿泊は基本YHと民宿で、キャンピングはしない。体育連合会にも、上部団体のESCAや西サ連にも入っていなかった。

個人的に野宿はしていたので、寝袋は携帯していたが、テント張ったり野外炊飯の用意もなかった。精々コーヒーを沸かすくらいだ。だから、合宿込みで1ヶ月くらいのツーリングでも、このサイズのサドルバックとフロントバックという軽装だった。サイドバックを下げたことはない。

野生児だった当時のあたしは、M大のワーゲンレンカーのような硬派を期待し入部を躊躇したが、入ってからの居心地は悪くなかった。実際旅先でワーゲンレンカーと遭遇したこともあるが、なかなか凄かった(^^) 何が凄かったかって? ウーン・・・・

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↑話しをS-1サドルバックに戻す事にする。1枚目の写真と同じ構図で撮った。変化に気がつくだろうか?

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↑コレは2枚目と同じ構図だ。如何か?

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↑3枚目の写真だとさすがに気が付くだろう。シロウトのやっつけ仕事ではなく、今回プロにお願いすることにした。アズマ産業さんにちょろっと相談してみたら、とっても感じよく丁寧に対応していただいた。自分が考えていた金額よりもはるかに安く仕上げてもらい、且つその明細が解りやすい。ベルト通しの革、各種金具、本体のパイピング、綻び縫製、あと写真では見えないが、補強用の金属プレートも替えてもらった。しかも納期がめっちゃ早い!!水曜日に送って土曜日に納品されたんさ。

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↑37年目にして若返った。減価償却は完全に終わっている。

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↑テールランプ用にフックを付けてもらった。ジーンズの端切れをぢ己流で縫い付けていたが、あまり褒められた出来ではなかった。綺麗に作り直してくれて満足している。

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↑津軽の写真が出てきた。日付が83.8.20となってるんでS-1サドルバックを買った翌日だ。S-1がちゃんとサドル下にぶら下がっている。ぢ転車はダイアモンド・ツーリングDT-6210だ。この時あたしは二十歳だね。ずいぶんと長く使っているが、まだまだ使えそうだ(^^)