1976年といえば、あたしが中学2年生ころだ。ぢ転車に興味を持ち始めて、友達とあちこち遠乗りに行った。使用機材はBSヤングウェイガン!セミドロハンドルの5段変速だった。そんな頃に購読していたのが、サイクルスポーツ誌 手元にあるのはこの一冊だけ。ニューサイクリング誌も時々買っていたが、14歳のあたしには敷居が高すぎた。その後経験を重ね、段々とぢ転車の知識が増してくると、ニューサイ誌に移行したが、そのニューサイも今はない。あたしンちに唯一残るサイスポ誌の中をちょろっと覗いてみることにする。ぢ己満足のレポートだが、読んでいただけると嬉しいな😊

↑なかなかワイルドな! 野生チックな! 汗臭い表紙だ。この時代はみんなこんな格好で漕いでいた。初めて買ったサイスポ誌は、この何号か前の筈。 記憶に残ってる記事は「我ら外車党」なんていうお題目だった。デ・ローザ コルナゴetcを初めて知る。45万円という価格におったまげた少年六浦っ子(^^) ちなみにその時出ていた外車で気になったのは、レニャーノだった。
↑親のスネをかぢって買って貰った石橋さんちのDT-6210、大学2年生頃までのあたしの旗艦だ。友達がボルドー色のDT-6010に乗っていた。あたしも本当はボルドーが欲しかったが、被るのでシャインホワイトにした。駆動部はサンツアー、スギノのパーツを多用していた。藤田プロのサドルかわやたらと硬かった。
↑コチラは丸石エンペラー 現行のエンペラーに比べるとちょっと華奢な感じ。ブランドはいまだに残っている。恐るべし。フレームカラーも渋いぜ。丸石さんに乗ってる友達はいなかったが、ベニックスに乗ってたやつはいた。エンペラーとベニックスは、あたしの中では一目置く存在だ。
↑宮田ジュネスシリーズ! メルクスシリーズの廉価版で、二人の友達がクロモリジュネスとハイテンのジュネスに乗っていた。宮田はオレンヂ色のイメージがある。ル・マンシリーズのご先祖様だな。宮田はシマノ、栄が駆動部を飾っていた。
↑ヤマハからは、ヤンクル&バンクル!いわゆるBMXのはしり!友達がヤマハモトバイクに乗ってた。 そして、ゼブラ・アルピナ!

↑知る人ぞ知るマイナーブランドだが、ナカナカいい感ぢだ。ステムにQRが付いてる。楽々輪行がウリ!シルクパーフェクトクイックとかアルプス・クイックエースと同じ考えか? このステム欲しいなぁ。 70年代のアルピナはこんな感ぢ。当時はアウトof眼中だったが、いまみると魅力的だ。ゼブラアルピナと、光ハイダッシュランドナーが頭の中ではイメージが重なる。しかしながら両車とも実車は見たことがない(^^)
↑フジオリンピックとフェザーコンポ!フェザーコンポはロードマンのようにベースがあって、アクセサリーを選んで組付けるやり方。ぢ転車屋さん大変だったろうな

↑ナショナル ぢ転車! 今のパナソニックだ。あたしのパナデモンタのご先祖様も掲載されていた。「今日、ロードレーサー明日、スポルテーフ」この頃は27×1 1/4とか1/8が標準だったスポルティーフのWOホイール寸法。これがチューブラーと同一の700Cにして、ホイール交換だけでロードレーサーにもスポルティーフにもなる!という発想だ。ロードレーサーの第一条件はチューブラータイヤだった。WOタイヤを履いたガードのないスポルティーフの事を、ファーストライディングなんて言ってた。好きな言い方だかいまはあまり聞かない。友達が乗ってた1/8はホイールがデカくて細くてカッコ良かった。でも頻繁にパンクしてたなぁ!
↑じゃんじゃん横丁! そう!いわゆるぢ転車の売り買いだ。住所 電話番号 名前まで全て載って載ってる。個人情報保護なんて考えは、ここには無い。売主に電話しても大概売り切れだった。
懐かしい紙面が満載ですね!
我々の年代は誰もがサイクルスポーツから始ま誌ましたよね。
ぶとぼそ氏の誕生日にはサイスポをプレゼントしてました (^^;
当時のメーカー車は完成度高かったですよね。アッセンブルがどれも格好良いいですし。ただしフロントフォークの曲がりはイマイチですが。
ボルドー懐かしい色の表現ですよね。当時は確かにボルドーと言っていました。
ヤマハモトバイクは親のスネかじって買ってもらいました。でも重たくてサイクリングには向かない自転車でした。
じゃんじゃん横丁では貯めた小遣い4,5万円でラスコルサロードを買いました。今でもそのチューブラーの乗り味を覚えています。
そして、ブルワーカー! さっき電車の中でニヤニヤしてしまいましたよ (^^)
mutuurakko1173
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